026 「ピアフレンズ」と夜学の話
WWWWWW 谷折リ WWWWWW
皆さまこんにちは!^ ^
落ち込む事もあるけれど、私は元気です♪♪
「へえー、そうなんですね!?」って。。
ぐすん。
心配して干し芋………。
干し芋は栄養たっぷり。。。
(いや、そういう話でなくて………。)
ブログは筆者と読者との信頼と愛情が大切だと、ワタクシは感じております……(i _ i )
よろしくお願いしますね。ほろり。
本日も前回の続きで、私のゲイ活動の続きを書こうと思います♬
ちゃんと書っけるっかな〜〜!?笑
では本日もはじまりはじまり〜!
やんややんや。
MMMMMM 山折リ MMMMMw
めでたく二丁目ゲイバー・デ・ビュー!をしたものの、タバコの煙が苦手で行かなくなり、それから3〜4年後に「また何かしらゲイ活動をしたい!」と思い始めました。
時代はネットやメールがだいぶ普及してきた頃で、「ピアフレンズ」という「ゲイの友達を作ろうよ〜!」的なイベントをネットで見つけたので申し込んでみました。
これは現在参議院議員をされているオープンリーゲイの石川大我さんが主催されていたイベントです♪
もう随分前の事なので記憶も朧げですが、参加者は20代前半が中心で、ほんのりお見合いパーティーに近い感じだったと思います。
ゲイバーは夜に行きますが、「ピアフレンズ」のイベントは太陽SunSunサンシャインが降り注ぐ昼間に開催されました。
真昼間に20〜30人位のゲイと会うなんて初めての機会でしたので、緊張しました。。
場所は市区町村が運営する公民館的な施設だったと思います。
真昼間にぞくぞく集まってくる人々・男性を見て、「みんなゲイなんだ…」と不思議な気持ちになりました。
イベントは、
①一旦半数に分かれて向かい合って椅子に座り、対面したお相手の方とお話しをスル。
②数分したら座席を隣に移動してまたお話しをスル。というスタイルでした。
回転寿司をイメージしていただくと分かり易いかもしれません!?
(あ、中トロが流れてキター!!)
「中トロさん、初めまして^ ^!!」
(あ、ウニが流れてキター!!)
「ウニさん、こんにちは^ ^!!」
(あ、かっぱ巻きが流れてキター!)
「かっぱさん、初めまして^ ^!!」
(※他意はありません)
あ、因みに私はハマチが好きでございます!( ^ω^ )
「ハマチハマチハマチー♪
ハマチーを食べーるとーー♪
甘エビ甘エビ甘ーエビーィィ♪♪
甘エビーが食べたくなるーー♪♪」
「甘エビ甘エビ甘ーエビーィィ♪♪
甘エビーを食べーるとー♪♪
鳥唐揚げ鳥唐揚げ鳥唐揚げー♪♪
鳥唐揚げが食べたくーなるー♪♪」
(レモンをかけてね♪)
「鳥唐揚げ鳥唐揚げ鳥唐揚げー♪♪
鳥唐揚げを食べーるとーーー♪♪
季節の茶碗蒸し季節の茶碗蒸し季節の茶碗蒸しぃーー♪♪
季節の茶碗蒸しが食べたくなるーーーうううーー♪」
(ぎ♪ん♪な♪ん♪)
語呂が!!!!
語呂が悪すぎる!!!!!!!!
「ゴロニャーン!!」
あのー、
ついてきてますか!?
それだけが、唯それだけが
今の私の心配事です。。
SHINNPAI
SHITE RU
TSUITE
KITE
それから、自分のニックネームとメルアドを書いた紙を、仲良くなりたい3人と交換するという流れでした(ような気がする。。)。
私は、青髭濃いめで男性ホルモン多めの「日本男児」といった、年下のかわいい大学生と仲良くなりたかったのですが、当時は受身沢待子だった為、私からは近づけませんでした。。orzzro
しかし回転寿司タイムに、私が昼間働きながら夜間の専門学校に通っている事を話したところ、私に興味を持ってくれて、後日食事に行くことになりました!!
「やーったやった♪
やったたたーん!!」
「こんなドタイプの子から食事に誘ってくれるなんて、、、本当に本当に専門学校に行ってて良かった〜!!( ;∀;)と思いました。」
ん!?何か言いたげですね!?
いーぃぃーーーーーんです!!
だってかわいいんですもん!!(o^^o)バブ
少し脇道小道にそれますが、私が夜間の専門学校に行くきっかけを書いてみようと思います☆
20代前半の私(ゲイバーに行った後位の頃です)は、本当に持病が酷かった為、2年間位自宅で半ひきこもりのような状態で暮らしてました。。
当時は「2ちゃんねる」が全盛期で、朝から晩まで2chのサイトを見ながら自分の持病と運の悪さと人生を呪いながら、半分死んだ気持ちで生きていました。
日々私と同じ病気で悩んでいる人が書き込むスレッドを「鬱々……」とした気持ちで読んでいる時に、ふとこんな書き込みが私の目に留まりました。
「俺は40歳でこの病気が治った。でも今までずっと遊びも働きもせず、治療にだけ専念して家にいたので20年間を無駄にした。。。」
「俺にはこの20年何もない。」
「病気はいつか治るから、みんな俺みたいになるな!!」
そのメッセージに私はとても心を揺さぶられました。
「確かに…。40歳であっても病気が治るなら嬉しいけど、その間自宅で病気治療以外の事を何もせず、20年という時を過ごすのは嫌だな…。」と思いました。
そして、例え病気は治らなくとも、あとから自分の人生を振り返った時に、「20代のうちにこれだけは頑張った!!」と、自分に誇れるようなものが干し芋!もとい!!「欲しい!!」と思いました!
(このタイミングでボケるのね…… ; )
当時、「半引きこもり」から「本引きこもり」になりそうな危うさを自分でも感じていました。。
私の病状を心配して、私に何か行動するよう促す言葉を2年間我慢していた両親、特に父親から「頼むから働いてくれ…」と言われ始め、「私もこのままではいけないな」と思いました。。
そんな状態の私を、従兄弟が気にして声をかけてくれました☆
私の今後について相談に乗ってくれ、ひとまず従兄弟が働いている会社でアルバイトをする事になりました。
そこで働かれていた社員の方々は、皆性格と人間性が良い方ばかりで、しかも美男美女ばかりでした!
2年間、他人との交流を持てなかった為、仕事を通して他人とコミュニケーションを取る事に喜びを感じました(T T)
そして同い年のふんわりボデイのノンケ美男がとても眩しく見えて一目惚れしてしまい、叶わぬ恋に身悶える日々を送るのでした…。←ありがちやりがち陥りがち(笑)
働いているうちに、その社員の方々全員、専門学校で勉強をして資格を取得されていると知りました。
アルバイトとして1年働き、少しずつ気力と体力が戻ってきた頃に、「私も社員の方達と同じようになりたい!」と思い「私も専門学校に行って勉強して資格を取ろう!」と思いました。
でも働かずに、また親のスネをかじって昼間の専門学校に行くのは「違うな」と思いました。
そこで生活は大変になりますが、昼間はアルバイトを継続して、夜間三年制の専門学校で勉強する事にしました。
10時〜17時まで仕事で、授業は18時〜21時半までです。
約40人のクラスメイトのうち、18歳〜70歳位(!)までの男女がほぼ均等な人数いて、そんな幅広い年代の人と「同じクラスメイト」として共に学んだ事は、私の人生の中で貴重な経験となりました( ̄∇ ̄)
ちなみに昼間働いてる人が多かったので、授業中うつらうつらするのを堪えて、いや、堪えきれずに夢の中へ…、という現象がほぼ全員順番に起こりました(笑)
「あ、あの人またボートを漕いでるw。あ、今度はあの人w」っていう感じで(笑)
そしてなんとか三年間頑張って通学し、勉強して無事に資格を取得する事ができたので「20代後半は頑張った!!!!」と胸を張って自分に誇れる時期になったと思います(^∇^)
〜随分と話が長くなってしまいましたが、その夜間の専門学校に通学していたおかげで、日本男児のかわいこちゃんから興味をもってもらえました♪
(やっと戻ってきました〜笑。ふう〜。おかえりなさいただいま〜今帰ったよ〜!)
かわいこちゃん(オッサンが使う表現ですね)と二人で食事に行きました♬^ ^
「ゲイの人と食事に行くんだ(しかもかわいい)。るんるるーん♫」という初めての経験でドキドキしてとても嬉しかったのですが、せっかくゲイの人と食事に来ているというのに、何故か全く私からは男性やゲイについての話を切り出せませんでした。。
夜、薄暗いゲイバーでお酒を飲みながらほろ酔い気分で男性やゲイについて話すのとは違い、明るい照明の居酒屋で、そして周囲にノンケがいる場所で「ゲイの人とゲイ話をする」という事に心理的な抵抗感を抱き、なかなか話ができませんでした。。
2時間近い間、ほぼノンケと食事に来ているのと何ら変わらない会話になってしまい、「これではなんの為にゲイの人と食事に来ているのか分からないじゃん!!!」と焦りました。。
それでもなんとか食事を切り上げる直前位にようやくゲイについての会話を切り出す事が出来ました…(汗)
私は高校2年生の時に自分がゲイだと気がつきましたが、当時から「なぜ自分はゲイなんだろう?」「なぜゲイに生まれたんだろう…?」という事ではあまり悩まなかった方だと思います。
私は考える事が好きですが、自分がゲイだという事には不思議と「なぜ?」という疑問は湧かず、ただ単に、
「自分はゲイなんだなぁ〜(・・)」
と思い、自分が「ゲイ」という事を素直に受け入れられました☆
ですがこの食事の時は、自分がゲイだと自覚し、それを受け入れられているのにも関わらず話を切り出せませんでした。
ゲイという事を「受け入れる」といっても、いくつも段階があるのかもしれませんね。ふーむ。
それから街で道行くノンケの子供連れの家族見ると、軽い嫉妬のようなモヤモヤしたものを感じる事が数年前までありました。
恐らく皆さんの中でも、そう感じられる方がいらっしゃるのではないでしょうか!?
私は昔から子供があまり好きではないので、例え自分がノンケで女性と結婚したとしても子供は作らなかったと思います。
「子供が欲しい訳じゃない。」
「そして(女性の)奥さんが欲しい訳でもない。。」
「では私はノンケ家族の一体何に嫉妬しているんだろう?」と考え続けた結果、彼ら彼女らの「家庭を持てている」という所が嫉妬の源泉だと行き着きました。
それに加えて、私と同じである男性(旦那さん)が、奥さんや子供を養っていける程の経済力や包容力を持っている所に嫉妬心を抱くんだなと分かりました。
私が幸福感を感じられる家庭像は「奥さんがいて、子供がいて」という形とは明らかに違います。
ゲイとして「ゲイのパートナーを作って、彼と家庭を作っていく^ ^」という所にあると思います。
あとできれば、良い交際を続けているゲイカップルや、地域に住むゲイの人達との交流を持って、「ゲイコミュニティ」という「広い意味での家庭・家族」を作っていく事が自分の家庭像なのかな、と思いました♫
そこに気がついてからは、ノンケの家族を見て嫉妬しそうになっても、一度しっかり自分の中で因数分解ができているので、「彼ら彼女らの家庭像や幸福感と、自分のそれとは違うんだよな〜(^_^)」との考えにすぐに戻れます。
また、これは少し意地の悪い見方かもかもしれませんが、現代は結婚しても3組に1組以上が離婚する時代です。
例えば公園やデパート、遊園地で10組の幸せそうなノンケの家族がいたとして、それを側から見て「うぐぐ……」と嫉妬したとしても、彼ら彼女らの3〜4組は数年後・数十年後には離婚しているんですよね。現実的な話。
そう思うと少し冷静になり、また違った気持ちでその10組の家族を見られるかと思います。
あれれ!
かわいい日本男児との食事の話からまーた話がそれてしまいました…(^_^;)
彼とは「今度カラオケに行こう!」という話になりましたが、それ以後連絡が途絶えてしまいました。
いや「途絶えた」というより、私の方が年上なのに待子状態で、自ら連絡をしなかったのが良くなかったですね〜。
待子はいかんですよー。
最近特にそう思います。
100人ゲイがいても、100人全員待子だったら一組も成婚はしないでしょうそうでしょう!?
という事で、自分から動きましょう動きま〜す!!( ̄∇ ̄)
今日のブログは「起承転結」というより「起承転転てんてててんとう虫!!☆」って感じですね☆
(って感じですね☆ と言われても……w)
それでは本日のブログはこれにて!
さらばじゃーー!!
ドロン!!
MM 山折リ MM WW 谷折リ WW
WW 谷折リ WW MM 山折リ MM
MM 山折リ MM WW 谷折リ WW
WW 谷折リ WW
MM 山折リ MM
MM 山折リ MM
WW 谷折リ WW
ψ(`∇´)ψ 折れた!? d( ̄  ̄)