024 お見合い11人目♪ (なげ子といい子と依存心の話)
皆さま ☆ こんにちは〜!^ ^
皆さま ☆ Hello〜!^ ^
皆さま ☆ Bonjour〜!^ ^
皆さま ☆ Здравствуйте〜!^ ^
皆さま ☆ اَسَّلاَمُ عَلَيْكُم〜!^ ^
皆さま ☆ 你好〜!^ ^
皆さま ☆ Dzień dobry〜!^ ^
皆さま ☆ Hyvää päivää〜!^ ^
皆さま ☆ 안녕하세요〜!^ ^
皆さま ☆ שלום〜!^ ^
皆さま ☆ Привіт〜!^ ^
皆さま ☆ Jó napot〜!^ ^
皆さま ☆ Merhaba〜!^ ^
いつまで挨拶してるんだって!?
いや、このブログは世界各国の方々から読まれているので、お一人お一人に挨拶しているんですよ!!
挨拶中に邪魔されるのはほんと困りますぅー!正直そういうのやめて欲しいですぅー!( ̄^ ̄)!プンスカピー
皆さま ☆ Guten Tag〜!^ ^
皆さま ☆ Xin chào〜!^ ^
小田 佐々木で〜す!!☆
え!?じゃあ挨拶は分かったけど、なんで「皆さま」は日本語なんだって!?
み、皆さま ☆ ជម្រាបសួរ។〜!^ - ^
小田 佐々木で〜す!!☆
今日も!笑顔で!!
行ってらっしゃ〜い!!( ◠‿◠ )/~
アータ…、イタイ所を突きますね。。
どうせならイタイ所でなくきもちい
×××××………(検閲墨)
それはそのう……、あのう……。
えーっと……。もごもご……。
あのね……。(∩´﹏`∩)
あのねのね……。(∩´﹏`∩)
あのねのねのね…。(∩´﹏`∩)
なんでかなぁ〜!?
なんでだろうぅ〜!?
なんでだとおもう〜!?
うぉうぉういぇ〜い ……。
「もし……、もしそちら様の方でお分かりにならないのであれば…、そちらのぉ………、いやそちらでなくそちらのぉぉぉ……………….…………ぉぉぉおおハイ!そちらです!そちらの交番でお巡りさんにお聞きになられるとよろしいのではないでしょうか!?」
「大変申し訳ご存じねぇのですが、私にはお答えできかねます。」
「秘技!!」
「丸投げ!ブン投げ!背負い投げでございます〜!!☆」
「参りますよ〜!!」
「とぉうりゃあぁぁあ〜!!」
【 ご町内の皆さまへ 】
えー、現在ご町内の皆さまに、小田佐々木、もとい『 背負 投子 』、『 せおい なげ子 』が大変お騒がせしております。
なげ子が冷静さを取り戻すまで今しばらくお待ちください。。
セオイ m(_ _)m(_ _)m ナゲコ
セオイ m(_ _)m(_ _)m ナゲコ
セオイ m(_ _)m(_ _)v セオイ
ナゲコ v(_ _)m(_ _)v ナゲコ
「まだまだー!!
逃しませんわよ〜!!」
「とぉうりゃあぁぁあ〜!!!」
今日は本文なしですかって!?笑
いやここからですよ。笑
残り120文字以上20000文字未満です。っ笑
「まだまだーーー!!」
「とぉうりゃあぁぁあ〜!!!」
(残り94文字以上19974文字未満w)
さて、前回の「023」の記事では、お見合い相手の容姿・年齢・雰囲気・やり取りなどを一切伏せて頑張って書いてみました。
その結果、まるで「壁」とお見合いしたような、のっぺら坊とお見合いしたような、なんとも味気なく、せっかく書いたのに内容も面白みもカロリー50%オフの人畜無害な記事になってしまいました。。zro orz
「お相手の事や、お相手とのやり取りを全く書かない」という事は、何もフックになるものがないので「内容を展開させられないなー」と思いました。
このお見合いブログは、
①お見合い相手とのやり取り
②そこでの気づき・反省
③その後の自己改善
を書くのが目的なのに、①をすっ飛ばして②と③だけを書くのは文章の構成上欠陥と無理があり、読んでくださる方の参考にならないのではないかと思いました。
そしてこの文体で書き続けても、私が書く意味も、ブログの存在意義も無くなっていきそうな予感がしました。。
オムライスを食べたい気持ちをぐっと我慢して真剣に考えた結果、前回から少し軌道修正して、仮にお見合い相手のご本人が読まれたとしても、
「自分の事かな?? でもお見合いしてる人は数百人やそこらいるから他の人の事だろう〜^ ^」
位までは許容して、書こうと思いました^_^
さて今日は、1→2→3→4→5→6→7→8→9→10→→11人目のお見合いです♪
私の両親はお見合い結婚だったのですが、母親から「10人の男性とお見合いをして、10人目の人と結婚した」と聞いていたので、予想外にも抜いてしまいました(笑)
「 時間です 」
「 待ったなし 」
「 両者見合って見合ってぇ〜! 」
「 はっけよいーーー!! 」
「 のこった!っっ !! 」っ!!
【 東 】
「は、初めまして!!
小田と申します!!!!」
「でも『佐々木』って呼んでください!!」
「なんでですか?って!?
……そういう、天命なんです!」
「それはともかく、す、素敵ですね!!」
「是々非々、いや是非!ぼぼ僕と私とワッチと手前と!!
っつ、つきあってください!!」
つ
つ
「腹筋!割れてます!!!!!!」
☆☆☆☆☆
【 西 】
「初めまして!!」
「僕は田中と申します!」
「はははっ。元気な方ですね!」
「佐々木さんの真剣な告白、僕の胸にズシンと響きました!ありがとうございます!!」
「こんな僕でよければ…、こちらこそ!よろしくお願いいたします!」
「僕はあいにく腹筋は割れておりませんが……、ふんわり・ボディです☆(^^)ニコッ」
「しゅ、しゅきぃーーーー!!!」
(※筆者はアラフォー)
(※※えー、今しがた皆さまがお読みになられた「文字群」は、わたくしの「未来妄想図」となっております。
この先に進むために欠かす事のできる省略可能な内容となっておりますが、何卒ご理解ください。
尚、苦情等は現在受付けておりませんm(__)m )
今日のお相手(切ったばかりの髪がやけに大人に見えた田中さん(仮名))は、私と年齢が近い年上の方で、お話しを伺っていると私と同じ持病をお持ちとの事でした!
日々忙しく働きながら、資格取得の為に睡眠時間を削って勉強されているそうで、素直に「すごいな!」と思いました。
私も20代後半〜30代前半頃は資格取得に向け勉強していました。
勉強の甲斐あって、無事資格を取得し、それを機に転職しました。
そしてその後も、仕事をしながらさらに難易度の高い資格取得を目指して予備校に通っていました。
ですが最低でも1日に2〜3時間は自宅学習が必要なのに、現実は1時間が自分の限界でした。。
予備校で難易度の高い講義が始まり、1〜3回目位までは授業についていけましたが、4回目の授業から、
「講師が使っている言葉は…、どうやら…日本語のようだ………。」
とは認識できても、何の話をしているのか全く理解できず、自分が物凄く頭の悪い人間になったような強烈な劣等感を感じていたたまれなくなり、授業を受けている間中「死にたい死にたい死にたい!!!」と思うようになりました……… (^◇^;)アラマア
どんだけ追いつめられとんねん(笑)
さっさとやめやー!(笑)
結局資格試験は、精神的にも肉体的にも自分を追い詰めるだけになってしまったので諦めました。
現在は「読書をしよう!」という位の勉強意識はありますが、睡眠時間を削ってまで勉強をしたいとは思わなくなりました。
今は、何よりお見合いとパートナー探しにエネルギーを注力したい全力中年です!!
(やっと妄想から抜け出して本文らしくなってきました。笑笑、は居酒屋ww)
アラフォーともなってくると、仕事や生活スタイルが安定し、貯蓄や投資なども着実に成果が実り始めて色々と好循環が起こる為か、話をしていて精神的な余裕が垣間見える方もいらっしゃいます。
今回の田中さんからも、そういった余裕が感じられました。
またコロナ禍初期でも、積極的にパートナー探しをされていたようで、勉強意欲だけでなく、その積極性に驚きました!
私は体型と同様年収もスリムなので(動揺)、そこまでの余裕は醸しだせていないと思います。。
でも勉強意欲を失わない田中さんの姿勢に素直に「すごいな!見習いたいな!」と刺激を受けました^ ^
田中さんとは年代が同じという事もあり、共通の話題も多く色々お話しができて楽しかったのですが、「話が合って楽しかった」という事と、「お相手に魅力を感じるか」と言う事は直結イコールではないようで、それ以後関係は進展しませんでした。
お見合いからは少し話はそれますが、私は幼い頃より依存心が強い性格の子供でした。
特に「自分で自分の人生を生きている」という現実感がとても乏しく、「今生きているのは誰かから一時的に預かった借り物の命を生きているだけ。だからいづれ返したい。」という感覚で、「もし今、私の人生の続きを生きたい人がいるのなら、すぐにでも代わってあげたい!!」と常々心の底から思っていました。
「私の残りの人生、あなたに差し上げます。お金は、要りません。」
私は中学校で内申点が良かった為に、本来の自分の実力以上の高校に入ってしまい、その代償として高校の3年間は常に劣等生でした。
高校生になると持病がとても酷くなり、また高校2年の時に自分がはっきりゲイだと意識し、(思春期なので誰でも大なり小なり同じだと思いますが)自分のアイデンティティがグラグラして精神的に不安定で、人生を登山に例えると0.5号目〜1号目をひたすら彷徨っている感じでした。
自分が頼んでこの世に生まれてきた訳でもないのに、思春期位になると両親や周囲の大人から何故「自分の人生なんだから、自分の人生を生きなさい。」と言われるのだろうか!?」と不思議に、そして不満に思っていました。
高校は進学校だった為、ほぼ全員が大学を目指して受験勉強を頑張っていました。
必死で勉強している同級生を横目で見ながら「何故生まれてきた事に特段疑問を持たず、当たり前のように自分の人生を受け入れて受験勉強に必死になれるんだろう…!?」と、ただただ不思議でなりませんでした。
でも仮に私が健康に生まれていたら、他の同級生と同じように、生まれてきた事や「自分の人生を生きる」という事を疑問に思わず、人生と健康を当たり前のように享受して青春時代を過ごしていたのかもしれません。
まあ、人それぞれ何に辛さを感じるかは違いますし、悩みが無い人はこの世にいないと思うので、「疑問に思わず・・・当たり前のように享受して」という部分の真偽は定かではないですね。。
当時は(自分で頼んで生まれてきた訳でもないのに)、なぜこんなに辛い思いをしてまで毎日を生きなければいけないのか、私には訳が分かりませんでした。
今までに、持病を理由に1万回位死にたいと思いました。
小学校の時の友達が、高校生になって統合失調症を発症し、飛び降りなど2度自殺未遂をしたと人づてに聞きましたが、残念ながら私にはその死ぬ勇気がありませんでした。
「死にたい!!」とどんなに強く願っても、毎日毎日神に祈っても、精神と魂は腐って干からびて死んでいきますが、実際死ねる訳ではないんですよね。。
でも「死にたい!!」という感情の底の底の底には「生きたい!」「まだ死にたくない!!」という気持ちもラップ1枚分位あったと思います。だから死なずにこれまで生きてきたんだろうな、と思います。
私はもともと大人しい性格・気質だった事に加え、末っ子として生まれた為、親や周囲の大人に甘やかされて育てられました。
それが、自分の心に強い依存心を生む大きな要因だったと思います。
周囲に「甘える事ができた」という部分は良かったのですが、その一方で内心では、親の機嫌によって叱られたり、学校で教師に目をつけられたり、友達からいじめられる事をとても恐れていました。
幼い子供心なりに、本能的に身につけた自分の在り方(処世術)は「いい子でいる事」でした。
家庭や学校、その他周囲との間であまり目立たないよう、諍いや問題を起こさないようにしていました。
実際「戦略的いい子」の効果は抜群で、親や先生からは可愛がられたり贔屓されたり、他の大人達からも「いい子だね」と褒められ、友達とも仲良く過ごせました♪
いじめっ子にもいじめられっ子にもどちらにもならず、丁度その中間を、平均台やブロック塀の上を両手を広げてバランスをとって歩くかのように、幼少期を常に「ザ・2軍」として過ごしてきました。
そしてバランスを崩し、まかり間違って3軍に転落しないようにいつも注意していました。
しかし成長するに従い、「いい子」という在り方が全ての人間関係に通用する訳ではないと気がつき始めました。
要領が良く尚且つずるいタイプの人や、他人の評価を気にせず自分の気分や感情を優先する人は、私が「いい子でいよう・いい人でいよう」という姿勢と、反面それと併せ持っている内面の不安を独特の嗅覚で嗅ぎつけスーッと寄ってきて、「困らせてやろう」「虐めてやろう」「利用してやろう」とする人も現れてきました。
今まで「いい子でいる事」でうまく人生を乗り切ってきた私が、それに代わる新たな立ち居振る舞い方を見つけられずあたふたする中で、逆に「もっといい子」であろうとし、その在り方は「より舐められる対象になる不味い選択だった」と随分後に気がつきました。
自分の「いい子」であろうとする心理と言動が、大人になってから様々な場面で、幾度も心の葛藤や困難を生み出す最大の原因になるとは、幼い頃には微塵も予想できませんでした。
「いい子はいい子にしかなれないYO!」と、安室さんちの奈美恵ちゃんが、小室さんちの哲也君が作った昔の曲で歌っていましたが、まさにその通りでした。
いい子はその場その場を「いい子でいる事で『うまく』切り抜けられた」かもしれませんが、後に自分がこれまで辿ってきた足跡を振り返った時に、悲しいかな心に何も残っていないんですよね…。
残っているのは、ただ「その時いい子でいた事」……だけでした。。
「いい子・いい人」は、他者からの評価(主に好評価)を心の拠り所とし、他者に依存し、評価に一喜一憂して振り回される、自分軸の無い弱々しい生き方だと今は気がつきました。
どんなに仕事を頑張っても、他人に優しく接しても、行動の動機が「不安」から発生しているので、いつまでたっても本物の自信が自分に根付かず、短い根っこのまま本体部分がグラグラして、根を地下深く広く張れずにいつも不安を感じて生きる他なす術がないと思います。
10代〜20代の頃の私はとにかく持病が酷かった為、両親も私も、私が実家を出て一人暮らしができるとは夢にも思っていませんでした。
しかし30歳を過ぎ、投薬治療をしながらなんとか症状をある程度コントロールする事が出来るようになったのを機に、思い切って一人暮らしを始めました^ ^
最初は環境の変化にまごつく事もありましたが、一人暮らしにも次第に慣れ、現在十年以上経ちました。
しかしその間にもかなり大きな症状の波がありました。。
何度も「激烈」に症状が悪化して、まるで人生になぶられているかのような生かさず殺さずの生き地獄の時も、親兄弟に甘えず頼らず地面に爪をたてて地べたを這いつくばってのたうち回り、いつ破れるかも分からないラップ1枚分の「生きたい!」「まだ死にたくない!!」という気持ちを足場にして踏ん張り、歯を食い縛って一人で耐えて生きてきました。
そうしてもがいてもがいて「人生という回転木馬」から振り落とされまいと必死に食らいつき、しがみついて生きている内に、、、、、いつしか自分の心の大部分を占領していた強い依存心がほとんど無くなっていた事に気がつきました……☆
私は20歳位から「自分は人より3年位成長が遅れているなぁ……」とずっと感じていましたが、今は「年相応位まで追いついてきたんじゃないかな?」と思います^ ^
これまでの自分を振り返ると「あんなに生きている現実感が無く依存心の強かった子供が、今こうして一人で文字通り『自立』して生きてるんだから、変われば変われるもんだよな〜」と自分の精神的な成長をしみじみ実感する日々です^ ^
そして今、こうしてお見合いをする日々です^ ^v
「お見合い」という活動を通して、私は以前より積極的・能動的になり、自分の言動を客観的に観られるようになり、相手の立場や気持ちを深く考えられるようにもなってきました。
この先、私にパートナーができる・できないに関わらず、考え方や人間性の改善に伴い、自分の人生の方向性が良くなってきていると感じます^ ^
「いい子でいたい」という強い感情は、私の人生大半の生存戦略だった為、心と身体と頭の奥深くまで染みついてしまっていて、服を新調するように簡単には変えられませんが、それは自分の向き合っていく課題なので、今後も少しずつでも改善していきたいなと思っています^ ^
いやいや………。
今日のブログは少し長すぎましたね………m(__)m
読了おつかれさまでございました。
でも最初に「20000文字未満」と記載していたからソーテー内ですね(笑)
「ソーテー内ソーテー内!!
DAー!YO!!」ww
どうやらなげ子も冷静さを取り戻したようです(笑)
(あ、そんな人もいましたね(笑))
ではでは本日はこの辺で。
長文お読みいただき、ありがとうございました。
皆さま☆ごきげんよう〜!^ ^
オダ m(__) m(__)v ササキ